良かったこと、就職するまでたくさんの人に支えられました。
高校3年のそろそろ暑くなってきた頃、教務室に毎年ハローワークから束になった求人票が届きます。就職希望者はそれを見て、就職先を決めていきます。なかには高校在学中にアルバイトでお世話になっている職場へそのまま就職する人もいましたが、大半がまったく違う職を選びます。私自身、スーパーのレジでバイトとして3年間働いていましたが、選んだ就職先は旅館でした。本当は接客業というものが物凄く嫌いで、事務仕事がしたくて当時から10年近く経った今でも続けられる場所を探しています。でも、人と話せないのはだめだ、沢山の人と関われば楽しくなるかもしれない、と旅館を希望しました。
あまり頭がよくなく、それでいて要領が悪いので、応用もきかずに面接の方法や履歴書の書き方を教えてくれた先生には大変迷惑をかけました。恥ずかしながら、面接の練習中に嫌な気持ちがピークに達して泣いてしまったのです。その時は19時を越えて他の生徒がほとんど帰宅していて静かになった校内で、不安になっていることすべて聞いてもらいました。
自宅に帰っても、本当に就職できるだろうか、あがり症の私は面接がうまくできるだろうか、作文はうまく書けるだろうか、と押しつぶされそうで母に相談してました。もしだめだったら、ゆっくり探してこうねとやさしく笑ってくれた母の姿が忘れられません。
結果として、1人だけ募集してたところに他校の子と合わせて受かったのです。正直、面接や作文はグダグダでした。あんなに練習したのに頭が真っ白でなるようになれーでした。上司に、おまえの作文はひどかったなーと酒の席で笑われたものです。その旅館には4年ほどお世話になり辞めた今でも交流するほど大事な場所です。
成人して社会に投げ出された今ではあんなに親身に就職活動を手伝ってくれる場はありません。人生において貴重な体験でした。